いままで数回にわたり、「子どもたちが英語を吸収する最短距離」をテーマにしてきました。しかし、ただ英語を「どのように」伝えるのかという方法論をお話してきたわけではなく、方法論以前にかなり重要なこと、子どもたちとママパパ(→大人・先生・社会)との距離感の重要性について、まず確認してきました。
英語というツールを提供する私たちの側(先生・親・社会)からの一方的な話ではなく、まずは受け取る側の子どもたちの成長にフォーカスしてみようと思い、発達心理学者エリクソンの『発達課題の各段階とその心理的側面』を取り入れ、私なりに解釈を試みようとしてきたのです。
見逃した方は、まず、↓こちらからご参照くださいね。
【子どもたちが英語を吸収する最短距離「幼児前期」の補足の補足(1)】
【子どもたちが英語を吸収する最短距離「幼児前期」の補足の補足(2-1)】
ここからは、CHESを設立したいなぁと、強烈に感じた理由でもあるのですが、CHESでは幼いお友達が英語で学ぶうえでかなり意識していることがいくつかあります。
その1つがまさに幼児期の【しつけ】“Teaching Children Manners”と密接にかかわることです。
前回もお伝えしたとおり、私は【しつけ】とは “Teaching Children Manners” だと理解しています。つまり子ども達に【自律】を促す「Manners:基本的な生活習慣」を教える【命令・禁止】。
ここで、あれれれぇ~!?(超マジ)なのです。実は、私がまだ新米ママだった当時、育児に英語を取り入れようと模索している間に、本当に、心底、あれれぇ~と感じたことがあったのですよ。
私が、いつこれほどあれれぇと感じたのかというと、外国人(いわゆる白人ネイテイブ)の先生との交流が始まった頃なのです。
たとえば・・・日本では
ごみは? 自分で(分別)ゴミ箱へ。
授業中は? 飲食自粛。
人間関係は? 思いやり、助け合い。
お客さまには? おもてなし。
生活全般? もったいない。
遠慮は? 美徳。
フグは食べられる?(爆)。
ちなみに、フグの毒は青酸カリの千倍といわれているそうで、アメリカ人は、常日頃、日本人がなぜそんな危険を冒してまでフグを食べるのかかなり疑問に感じているそうです(汗)。
余談はさておき、いい悪いではなく、日本人として思わず肯いてしまう独特の習慣ってまだまだ他にもたくさんあると思いませんか?
特に明文化されているわけでもなく、また宗教観に左右されるわけでもないのに、まるで刷り込まれていたかのように思わず肯いてしまう日本人独特の生活習慣というのがありますよね。これらは海外でも当たり前の生活習慣なのでしょうか。
そんなことはありませんよね。わずか数日間の海外旅行にいくだけでも、生活習慣の「基準」って、世界各国違いがあるものなんだぁと実感させられることは少なくありません。
でも、生活習慣の「基準」を教える【命令・禁止】が【しつけ】だったはず。つまり【幼児期前半】のテーマ【自律】と【しつけ】とは切ってもきれない関係。
【幼児期前半】、幼い子どもたちは筋肉や運動神経のの発達により自分自身の力でようやく動き出すことができるようになり、「自我」が芽生え始めます。しかし「自我」の要求に従って行動しているばかりでは基本的な「生活習慣」を確立することは難しくなってしまいます。だからこそ、【幼児期前半】のテーマは【自律】。
このような「自我」を調整する【自律】を育む大切な幼児期に、学校や教室で先生から、日本のごく普通の家庭の基本的な生活習慣からあまりにもかけ離れた生活習慣を「基準」にした【命令・禁止】をされたとしたら・・・? あるいは逆に、日本のごく普通の家庭の基本的な生活習慣を「基準」にした【命令・禁止】が全く無かったとしたら・・・?
ただでさえ、まだ基準やルールの認識があいまいな幼い子どもたちは?
ご家庭の基準に従うべきなのか?
ご家庭の基準とは異なる学校や教室の基準に従うべきなのか?
これでは、まるでシェークスピアの戯曲wに登場しそうな重大な2者択一の板ばさみ。この無秩序な状況にひたすら混乱するに違いありません(汗)。
私たち親子も、実際に日本のプリ・スクールやシンガポール滞在でささやかでしたが、このような混乱を経験しました。大人にとっては「文化の違い」と軽く片付けてしまえるようなささやかな混乱なのかもしれませんが、まだ人格さえあやふや、まして自分自身の「文化」観さえ曖昧な幼い子ども達にとっては、かなりのインパクトの体験もありました。
この様子は、以前に【「なぜ、シンガポールなのですか?」あるいは「なぜ、アジアなのですか?」】にも書いたとおりです。
私が、日本のお友達に幼い頃から身につけて欲しいなぁと考えているのは世界とコミュニケーションできる方法や道具としての「言語」。それがたまたま一般的には「英語」という「言葉」。つまり、英語という言葉の先にある “internationalization” と表現できる国際化です。
日本語の背景にある生活習慣とは明らかに違う、英語の背景にある “globalization” と表現される独特の生活習慣や文化を含めた「英語」を学ぶのは、もっともっと大きくなってからで十分だと考えています。発達心理学者エリクソンの表現を借りれば【Stage 5:青年期】の【自我同一性】vs【同一性拡散】の時期を過ぎた頃からだと考えてします。
ちょうど「思春期」と表現されるこの時期になってようやく「これが自分だ」という“identity”の獲得、【自我同一性】がテーマになります。この過程を経てようやく【自立】。ここでは「自律」ではなく「自立」。親・先生・大人への「依存」から “identity” の獲得後、社会のなかで「自立」を模索し始める時期。
もしも“identity”の獲得に失敗してしまうと【同一性拡散】、つまり自分が自分でなくなってしまったり、自分と他人との間に共通のものが見出せなくなり、「自分と世間との間に壁ができてしまう」ことにもなりかねません。結果的に(自己評価が低すぎて)グレ始めるのもこの時期だと言われています。
たとえば、ごく普通の日本人家庭なのに・・・、幼いころから英語を身につけさせたいので、なにがなんでもネイティブ教師がいる日本人の少ないインターナショナル・スクールという選択肢、あるいは中学や高校から無理やり長期の海外本留学という選択肢についても、ご相談いただくこともあります。
このようなご相談をいただいた場合、あくまで私個人的な感想としてお断りしたうえで、そのような環境を選択するにしても、その生活習慣の「基準」とご家族の「基準」との間にかなりひらきがあるとしたら、ご家庭でかなり丁寧なケアができない限り、幼い子ども達は将来的に “identity” の獲得に失敗してしまう怖れもあると感じますと、お伝えしてきました。
・・・というのも、マイクロソフト日本法人元社長: 成毛眞さんのこの本の帯に書かれている強烈な言葉にご注目ください。

- 作者: 成毛眞
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2011/09/06
- メディア: 単行本
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「英語ができても、バカはバカ」。私の言葉ではないですよ(汗)←念のためw。
もちろん! この本の内容に全面的に同意するわけではありませんが、結構、するどい指摘だなぁとは感じます(笑)。
Amazonの紹介文から内容をいくつかご紹介すると、「頭の悪い人ほど英語を勉強する」、「英語ができても仕事ができるわけではない」、「インターナショナルスクールを出て成功した人はいない」(・・・汗)。
このあたりについては、以前からごく普通の生活習慣を基盤にしている多くの日本人の方々がこうしてはっきりと言葉に表すことをしないまでも、なんとなく感じてきたことなのではないでしょうか。
実際、私も、日本のインターナショナルスクールに通学中・卒業後、また、シンガポールでも留学生活中(日本人だけではなく)に残念な状況になっている学生たちと数多く(←もちろんすべてではないですよ。目的意識をしっかりもって学んでいる多くの学生にも)出逢ったことがあります。
これもあくまで私の個人的な感想ですが、「英語」をなにか(←あなたの夢は?)を学ぶための道具ではなく、現状(現実←多くの場合日本での環境から)逃避的に「英語」を学ぶこと自体が「目的」化されてしまった場合、「頭の悪い人ほど英語を勉強する」、「英語ができても仕事ができるわけではない」に陥るのではないのかなぁと感じます。
そして、幼い頃から長期間「No Japanese!」と四六時中言われ続けるような環境に育ってしまうと、自然と、日本語(日本文化・日本の生活習慣)→家族→社会に対して「No!」の気分になり、日本人としての “identity”が揺らいでしまい、最終的には自分自身にさえ自信が持てなくなり、「インターナショナルスクールを出て成功した人はいない」になるのではないのかなぁ? と感じます。
ただ、「日本人の9割に英語はいらない」と言い切る著者、成毛さん自身は英語をしっかり使える(汗)わけで、このあたりのご意見は、すでに英語が出来るからならではの強いバイアスがかかっていると考えたほうが適切でしょう。そして、「早期英語学習は無意味である」に関しては、私は完全否定します(汗)。
2・3歳頃からは、あらゆる意味で「積極性」が開花し始める時期。もちろん言語の獲得も例外ではありません。これらは発達心理学者の多くが指摘しているとおりだと、経験的にも感じています。
たとえ(これは私のなかの最悪シナリオなのですが・・・泣)、幼い頃のわずか数年間「英語」で学び、その後すっかり英語を忘れてしまったとしても、英語への「反応力」はなくならないと実感しています。
ホント、不思議に思うのですが、ウチにかかってくる電話に対して、子ども達は英語人からの電話であれば、瞬時に英語で対応していますし、学校関係の方々からの電話であれば中国語で対応しています。もちろんおばあちゃんからの電話には(最近では主人と間違われながらも←声が似ているそうですぅ)穏やかに日本語で対応してくれています(笑)。
おそらく、お箸の持ち方も同じだと思うのですが、3歳頃に習慣化して自然と適切なお箸の持ち方を覚えてしまうと、その後、奇妙な持ち方は無理してもできなくなってしまいますよね(笑)。
しかし、このタイミングを逃してしてしまい、(ウチの長男のようにwww)小学生の頃に適切なお箸の持ち方を覚えようとすると、かなりの訓練が必要になります(汗)。自転車なんかもそうかもしれないです。幼い頃から十数年乗っていなくても、必要になれば、すぐになんとなく思い出します。
英語への(耳と口の)「反応力」も同じだと感じています。あらゆる意味で「積極性」が開花し始める2・3歳の時期から最低限(Basic English)を身につけておくと、たとえ大きくなってから再び必要に迫られ、英語を学び直す段階になっても、すぐに思い出してしまいます。
ただし、幼い頃の英語体験が否定的な経験ではない限り、なのですが・・・。
このような私の育児経験もふまえて、CHESでは幼い頃の英語体験が楽しい経験になるように、日本の生活習慣(教育システムも)を否定することもなく、生活習慣(文化)と比較的近いアジアのバイリンガル教師の先生方と一緒に活動しているのです。
また、「CHESシンガポール親子短期留学」についても、たとえ短期間のシンガポール滞在であっても、「親子」での楽しい冒険(民族に関係なくみんながフツーに英語でしゃべっている環境)旅行として共有するために「親子」で体験することをお勧めしています。
それだったら、幼い頃からあえて日本の生活習慣と違う外国人の先生方と交流するよりも、日本人の英語の先生のほうがが安心?
でもね、幼い子ども達は、なぜか、一瞬で見破ってしまうのですよ(汗)。「この先生なら、英語じゃなくても日本語で十分通じるなぁ」と(ヤレヤレ)。しかも日本の一般的な幼児(子ども)英語教室は週1回、しかもクラスの時間枠は50~60分、あいさつと準備・後片付けを除くと、実質時間にしてせいぜい30分くらい。
これではさすがに英語への反応力はなかなか身につかないでしょう(汗)。このあたりは、とてもデリケートな課題ですぅ。
いずれにしても、幼児期前期、子どもは新しいことを学ぶのが大好き。しかも、なんでもスポンジのように知識を吸収していきます。
毎日が新しい発見に満ちており、人生への好奇心、興味を育てる絶好期。しかも、言語能力が著しい発達を見せるこの時期だからこそ、(日本語も)英語も学び始めるのには最適。
でも、だからこそ余計に、幼い子どもたちが学ぶ環境にだけでは丁寧な目配りが必要なのではと考えています。
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