「結果」の格差よりは、「機会」の格差について論じて欲しいOECD「学力テスト」の結果。

先日、2009年に行われたOECD国際学力テストの結果が公表されていましたので、少し触れたいと思います。

上海が、読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの3分野においてすべて1位となったほか、韓国、香港、シンガポールも全分野で上位を占め、アジア勢の台頭が目立つ結果になっていました。この結果は、最近の教育に関するニュース報道から垣間見る「感覚」がそのまま反映されているようで、面白かったです。

【国際学力テスト:日本、読解力改善 上海が全分野でトップ(2010年12月7日)】

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101208k0000m040033000c.html

経済協力開発機構(OECD)は7日、65カ国・地域で約47万人の15歳男女(日本では高校1年)が参加した国際学力テスト「学習到達度調査」(PISA)の09年実施結果を発表した。読解力、数学的リテラシー(活用力)、科学的リテラシー(同)の3分野の調査で、日本は読解力では前回(06年、57カ国・地域参加)の15位から8位と順位を上げた。数学は10位から9位、科学は6位から5位とわずかに上昇。一方で初参加の上海が3分野すべてで1位となったほか韓国、香港、シンガポールも全分野で上位を占め、アジア勢の台頭が目立つ結果になった。

さて、気になる「日本」は、果たしてどうだったのでしょうか?

日本の調査結果の変遷は、読解力が00年8位、03年14位、06年15位で、今回調査で00年レベルに改善。数学は00年1位、03年6位、06年10位。科学は00年2位、03年2位、06年6位で今回調査でいずれも下げ止まりの兆候が見えた。だが、得点によってレベル1未満(最下位)~レベル6(最上位)までに区分された階層のうち、文部科学省が「社会生活に支障が出る」と判断するレベル1以下の生徒が、読解力13.6%、数学12.5%、科学10.7%に達するなど、学力格差は依然解消していない。

と、まあ、2006年の調査時点よりは改善しているものの、文部科学省が「社会生活に支障が出る」と判断するレベル1以下の生徒が、読解力13.6%、数学12.5%、科学10.7%も存在していることが浮き彫りになったようで、これはまさに「学力格差」なのでしょう。

でもまず、ここで少し疑問が湧いてきます。それは、各国の教育制度にそれぞれ違いがあるのにもかかわらず単純に「15歳」の学力比較をすることに意味があるのかなぁという疑問です。しかも、記事の結論は「学力格差」。なんにでも「格差」という言葉で片付ければ、記事になるってもんではないでしょう。

ご存知のとおり日本では15歳といえば、高校生、各学校によって選択科目があるものの、習っている学習内容にそれほど差はありません。ところが、たとえば、シンガポールでは、すでに「小学校4年生」の終了時のテストの成績をもとに、「EM1」「EM2」「EM3」という3つのレベルに分けられたコースに進級します。

EM1では、母国語の授業時間は「10」、英語の授業は「12」、そして数学の時間は「9」です。一方、EM3では、母国語の授業時間は「4」と急減、英語の授業は「16」、そして数学の時間は「13」となります。すでに5年生から、進むクラスによって学習内容が変わってきてしまいます。

さらに、小学校6年終了後のPSLE(小学校卒業試験)の成績をもとに、上位10%は、Special Course(特別コース)へ、残りはExpress Course(特急コース)の中学へ進学します。つまり、小学校4年生の学力テストでほぼ進路が決定されてしまう仕組みなのです。

このシンガポールの教育制度は、果たして「学力格差」を生んでいると言えるのでしょうか?

f:id:kobe-ches:20101215155614g:image

また、シンガポールと同じように、小学4年生で、進路が分かれていくのがドイツです。ドイツでは伝統的に「三分岐型の教育制度(基幹学校)(実科学校)(ギムナジウム)」が行われてきました。小学校4年生の時点で将来の職業に合わせて進路を決め、それに見合った学校類型に進学することになるのですが、子どもたちはまだ自分たちの進路について明確な意思や見通しを持つことはできません。

そこで教師と親が話し合って、子どもの進路を決めることになるのですが、結局、最終的に決定権を持つのは親です。そのため、労働者の子どもは往々にして大学への進学コースであるギムナジウムへの進学を選択せず、出来るだけ早く手に職をつけるようにと基幹学校への進学を選択することになるそうです。

このドイツの教育制度も、やはり「学力格差」を生んでいると言えるのでしょうか?

f:id:kobe-ches:20101215163940j:image

このような国と日本の子ども達を比較して、単純に日本には「学力格差」があると結論づけるのは、日本の教育制度の問題の本質からそれているのではないのかという気がしてきます。

たとえば、ドイツでは、2000 年のPISA(「国際学習到達度調査」)において、数学的リテラシーで21 位、科学的リテラシーで21 位、読解では22 位という結果に終わり、この結果はドイツに大きな衝撃をもたらし、伝統的な三分岐型の教育制度に対し、最近では教育改革が行われているそうです。

ただし、ドイツは連邦制のために各州ごとに教育省・文化省があり、それぞれ異なる教育制度や方針がとられているため、一概に論じることはできないのですが、「家庭環境による格差」「性差による格差」「移民の子どもたちの学力」のそれぞれの見地から教育制度の改革が実施され始めています。

つまり、「結果の格差」の問題だけではなく、教育を受ける「機会の格差」まで踏み込んで議論され、改革が進められているのです。

日本では、有名進学校に入るために、日本でも多くの子ども達が学習塾に通い始めるのが小学校4年生ぐらいからです。つまり、この時点で、日本ではある意味、公的な教育制度が、すでに見放されてしまうのが現状。ここが一番問題だと感じるのです。

公的な教育制度のなかで進路が分けられるのではなく、ほぼ「家庭環境による格差」によって、子ども達の進路が分かれてしまいます。また、たとえ公立の中学・高校に進学したとしても、多くの子ども達は高校・大学受験のために、同時に公的教育制度ではない進学塾にも通います。

一体全体、公的な教育制度とは、日本でどのように機能しているといえるのでしょう。

最近、「格差」という見出しはよく使われてしまうのですが、「結果の公平」というのは、人間社会にはそもそもないじまないような気がします。家庭環境や努力、そして、おそらく運によっても子ども達の将来の結果は大きく違ってくるでしょう。ただし、「機会の公平」は、特に教育においては、必ず守ってあげなくてならないと思うのです。

教育の機会さえ与えられずに、健全な社会性を育むことを子ども達に期待し、押し付けても、それは、あきらかに不公平だと感じるのです。

今回のOECD国際学力テストの結果について、いたづらに「結果の格差」について大声をあげるのではなく、日本の教育制度の「機会の格差」について、あるいは公的教育機関の役割についても、もう少し論じて欲しいと感じました。

たとえば、教育費の問題。

【教育への公費、貧弱さ浮き彫り OECD国際比較…平均並みハードル高く】

http://mainichi.jp/life/edu/mori/news/20100918ddm013100139000c.html

公表されたデータによると、07年のOECD平均は4・8%。これに対し、日本のGDP比は3・3%で、比較可能な28カ国の中では最下位だった。

07年の日本の名目GDPは約515兆円。OECD平均との差の1・5%を埋めるには、新たに8兆円近い支出が必要になる計算だ。今回のデータは自民党政権時代のものだが、政権交代後に始まった高校無償化にしても事業費は3933億円。「OECD平均」の達成は容易ではない。

各国との格差がとりわけ大きいのが、大学などの高等教育段階だ。私費を含めた高等教育機関に対する全支出に占める公費の割合はOECD平均が69・1%だったのに対し、日本は32・5%にすぎない。授業料など家計からの支出が51・1%、大学への寄付など企業や個人の支出が16・5%で、計67・5%が私費からの支出だ。08年の日本の高等教育への進学率はOECD平均(72%)を上回る77%。アメリカのように公費が少なくても企業からの寄付金や奨学金が充実している国と違い、日本や韓国などは、家計負担に頼ることで高い進学率を可能にしている。

日本の公的な教育内容をあげるためにも、まずは、教育への予算を増やすところから始めていただきたいものです。


2017年冬休みホリデー・クラス募集開始♪

アーカイブ

CHESメルマガ

英語ができる子の親だけが知っている!
新「英語育児」

CHES無料メルマガの登録は、
いますぐ↓こちらからお願いします。

メールアドレスを「半角」でご記入のうえ、
登録して下さい。
読者登録規約




ページトップへ