教育にも「競争」が必要?

先日のメルマガで、↓以下の記事等を参照しながら、日本の最高学歴である大学生が卒業後、就職できないのは、なんだか直感的におかしいと感じると書いたことがありました。

【秋なのに「就職が決まらない」大学生だらけ-東大、早慶も大苦戦 「日東駒専」「大東亜帝国」は悲惨】

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1136

【大学3年生25万人が野垂れ死ぬ】

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/65

景気変動のなかで、過去にも瞬間的に似たようなことがあったのでしょうが、どうも最近の「就職氷河期」というのは恒常化しそうに感じます。

以下は【「就職が決まらない」大学生だらけ】の記事からの引用です。

ある有名企業の採用担当者は学生の能力低下に不満をもらす。

「仲間内だとコミュニケーションがとれているのに、親戚以外のオトナに対してはひどく臆病だったり、自分をアピールすることができないという学生が多い。また、一般常識がひどく欠けているのに、根拠のない自信を持っている。そんな学生が増えている以上、企業側が早くから優秀な学生確保に走るのも、やむをえない部分があるんです」

では、就職戦線を勝ち抜けるのはどんな学生か。

中央大学教授の山田昌弘氏によれば、男子学生の場合、フットワークが軽くて、使いっ走りに便利そうなタイプから内定が出ているという。女子学生は、美人は条件ではなく、ニコニコして愛嬌のある子、だそうだ。

男女とも学力はほとんど関係ない。内定が取れない学生というのは、コミュニケーション能力が足りないというか、自分の見せ方が下手なんです。相手に『一緒に働くと気持ちがいい』というメッセージを届けられるかどうかがポイントです」

「仕事」といえども、基本は、人と人の関係。結局は、「コミュニケーション能力」が最重要課題なのかもしれないのはよく理解できるところです。ただ、ここで大きな疑問が湧いてきます。「コミュニケーション能力」が最重要課題なのであれば、採用側は、あえて「大学の新卒」にこだわる必要はないのではないのか???

一方で、大学側からは・・・

【戦力にならない”若手社員はなぜ増えた?-成熟経済下の日本に求められる「新しい教育」の姿―東京大学 本田由紀教授インタビュー】

http://diamond.jp/articles/-/9752

企業自身が構造的な変革を行わないにもかかわらず、若者にはスーパーマンのように万能な力を期待するという“無い物ねだり”的な発想が、現在の「若手社員への過剰な期待」と「能力不足への指摘」につながっているのではないだろうか。

これでは、これから子どもを育てていく親としては、「学習や学歴」について、一体どのように考えていけばいいのかに関して、結局、相変わらず、なんだか手探り状態のままです。

そして、この手の「教育」議論がおこると、必ず登場するのが↓以下のような「競争」教育論。周回遅れのような気もしないわけではありません。【教育に競争は絶対に必要】という、富士フィルムホールディングス社長の古森重隆氏のインタービュー記事が日経新聞に掲載されていましたので、転記させていただきます。

【競争を罪悪視し、みんな仲良くという教育観に疑問があるそうですね】

「競争によって人間はもまれないと、成長しないし、自立もできない。自分の生き方さえ分からなくなります。競争は社会の原理なんです。集団の中ばかりか、国家や社会も競り合い、その結果、栄枯盛衰があり、進歩や退歩が決まるのです。いくら努力しても結果が同じですなんて教育はあり得ません」

「ぬるま湯で育てたら気概のないヤワな若者が増えて、全体の知的レベルも下がります。互いにしのぎを削る環境を整えて、精神力の強い人間を育てなかったら、日本の将来はないと断言できます」

【ぎすぎすしませんか。】

「勉強をできない人をさげすむとか、弱い人をいじめるというのは競争が原因ではありません。徳育をおろそかにするからです。教育は知育だけではない。総合的なものです。人間としてあるべき姿を学校も家庭も子どもたちにきちんと教えるべきなのです」

「私が子どものころは、正直であれ、弱いものいじめをするな、困難から逃げるな、努力をしろといったことを繰り返したたき込まれました。それから外れると、おやじからガツンとやられたものです」

【古森さんは成功したからよいが、敗者の身にもなってという意見もあるのでは。】

「人生における勝者、敗者は世俗的な地位では決まりません。自分なりに努力して、自分なりの生き方を貫ける人が真の勝者です。受験競争も私のころはひどかったが、偉くなりたいために勉強したわけではない。負けてたまるかと思っただけですよ。それは動物の本能でしょう」

「勉強したい人は大いにやればよい。学校の成績が悪くても、ひょうきんなら人気者になれる。歌や運動が好きだとか、得意なものがいろいろあるはずです。競争によって、自分の居場所が分かるんです。それぞれ個性にあった生き方をすることで、社会の均衡が保たれるわけです」

【差を付けてはならないとの意識は根強いです。】

「ごまかしですよ。人間は赤裸々な存在です。他人との違いを知り、自分を知ることで、人生に対して折り合いをつけられるんです。それを避けるから、ちょっとしたことで、くじけてしまう」

「一歩海外に出たら、みんな仲良しなんて甘いことは通用しません。外国人はよく主張する。へらへら聞いていたら軽んじられるのが落ちです。確固とした立脚点を持って論理的に自分の意見を主張して初めて、向こうはこちらに一目置いて交渉になるんです。無競争、無菌状態で人間を育てたら、ろくなことにならないと知るべきです」

たしかに私も、「いくら努力しても結果が同じですなんて教育はあり得ません」には完全同意です。ただ、このような単純な「競争」論が、周回遅れに感じてしまう理由は、「互いにしのぎを削る環境を整える」目的が、他者との「競争」を徒に煽り、二者択一(勝・負、正・誤など)の結果を得るためではなく、自分自身との「競争」、つまり、果たして最善を尽くしているのかという自分自身への問いかけに真摯に答える環境を整えるキッカケに過ぎないということにまで踏み込めていないからだと感じます。

これからの日本で、子どもを育てる親としては、どうもまだ議論が煮詰まっていない気がしてなりません。もっと楽しく学び、反省して、また学ぶという好循環な教育環境や、社会環境を提供できる方法がありそうな気がするのは、私だけなのでしょうか。みなさんはいかがなのでしょう。。。


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